この記事は、2016年2月に別のブログ(既に閉鎖)で公開した文章を加筆修正し、タイトルを変えて再掲したものです。記事前半の内容はおおむね2016年の公開当時のままです。後半は2023年6月に書き加えました。
部屋の整理をしていたら、1995年6月発行のアルクのムック『稼げる実務翻訳ガイド』が物入れの奥から出てきました。翻訳の勉強を始めて間もない時期に買ったムックです。
1995年6月というと、まだWindows 95の発売前で、インターネットはほとんど普及していなかった頃。ムックの中身を見てみると、当時の仕事の環境には隔世の感を覚えます。
たとえば、翻訳者が翻訳会社から連絡を受ける手段について、「携帯電話にせよポケベルにせよ地下鉄や地下街などでは役に立たないので、確実にメッセージをキャッチするには2時間ごとに自宅の留守電を外から確認するのもひとつの方法」と説明があります。また、翻訳原稿を納品する手段については、「翻訳会社あてにパソコン通信でデータを送るか宅配便でフロッピーを送ることになる」とのことです。
パソコンのスペックについては、「メモリは最低8MBはないとWindowsマシンとして実用にならないが、一部のパソコンでは標準搭載メモリを4MBに下げてカタログ上の価格を安く見せたりするのでだまされないようにしたい」とあります。単位はGBではなくMBですのでお間違いなく。
ちなみに、当時NIFTY-Serveの翻訳フォーラムの会員数は「1万7000人(95年3月現在)」だったそうです。(ここまでの3段落のカギカッコ部分はいずれも、河野弘毅さんの記事「『翻訳道具』活用法」から引用)。
しかし、別のページをパラパラ見ていたら、「実務翻訳業界の仕組み」という無記名の記事で次のような一節が目に留まり、ちょっと驚いてしまいました。
「最近では機械翻訳があちこちで取り上げられるようになり、翻訳者は翻訳機械に仕事を奪われてしまうのではないかと懸念する向きもあるようだ。しかし、機械による翻訳では、まだとうてい、滑らかで読みやすい日本語を仕上げる段階にまでは至らず、むしろ、良質の翻訳作品を仕上げる翻訳者への需要は以前にも増して高まっている。言い換えれば、実務翻訳者は機械にはおよそまねのできない質の高い翻訳作品を生み出すことによって新たな活路を見いだすことができるとも言えるだろう」
フロッピーを宅配便で送っていた時代の文章なのに、アルクの最新の『翻訳事典』(2017年度版)にそっくりそのまま出てきたとしても、ほとんど違和感がなさそうな一節です。機械翻訳が人間の仕事を奪うという話は、古くて新しい話題だったんですね。知らなかった。
ちなみに、物入れから出てきた『稼げる実務翻訳ガイド』は、このほかに 1998年度~2007年度版が揃っていました。少しずつひもときながら、時代の流れを確かめてみようと思います。(現在ネット上で見かける著名な方々の昔の写真を眺めるのも一興であります)。
(ここまでが2016年2月の記事)
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2023年6月追記:
本文中、1995年のムックからの引用部分が「2017年度版」の翻訳事典にそのまま出てきても違和感がない、と年度をあえて書き添えてある箇所は、最初に記事を公開したときからこういう書き方にしていました。機械翻訳やAIの進化に伴って、いずれは印象が変わる可能性もあるかもしれない、と考えてのことでした。(結局『翻訳事典』自体が休刊を迎えるという予想外のオチとなりましたが)。
その後の数年で、AIが生み出す文が格段に「滑らかで読みやすい」ものになったのはご存じのとおりです。ChatGPTなどの生成AIの登場をかつてのインターネットの登場になぞらえる論調もよく目にします。
こうなると、翻訳者が「翻訳機械に仕事を奪われてしまう」という話はいよいよ現実味を帯びたようにも感じられ、実際そういう言説は数多く見られます。そういう立場からすれば、この記事で引用した1995年の一節はもはや過去の話になった、と言えそうです。
しかし一方で、人間と同じような翻訳は「まだとうてい」機械にはできない、という主張が2023年現在のSNSやブログで引き続き見られるのも また事実です。そういう立場からすれば、この1995年の一節は現在も一字一句そのまま成り立つ、と言えそうです。
こうした相反する見方が交錯する背景については、テリー齊藤さんがブログ記事「AIで消滅する翻訳という職業」で解説なさっています。
私が今回の記事を2016年に最初に公開したとき、この1995年の一節について、実務翻訳のムックなのに「翻訳作品」という言い方をしているところが気になる、という趣旨のコメントを自分で付けました。しかし今あらためて読むと、実務翻訳者も「作品」と呼べるような路線に目を向けてみよ、と1995年の段階で予言していたかのようにも思えてきます。
逆に、機械翻訳を推進する立場になったつもりでこの一節を今あらためて読むと、「滑らかで読みやすい」翻訳を「仕上げる翻訳者への需要」が「以前にも増して高まっている」という言葉は、ポストエディットという仕事の意義を1995年の段階で予言していた、というような捉え方もできるのかもしれません。
かつてのポケベルやフロッピーと同じように、翻訳者も消えゆく運命にあるのでしょうか。その答えは分かりませんが、翻訳の仕事にせよ別の仕事にせよ、プロフェッショナルとして「機械にはおよそまねのできない」価値を生み出すことが人間に求められているのは間違いなさそうです。
いろいろ考えながら読み直してみると、1995年のこの一節は、なかなか示唆に富んでいる気がします。
それはそうと、「ポケベル」「フロッピー」「パソコン通信」「NIFTY-Serve」といった言葉は、そろそろ注釈とか付けたほうがいいのかしら…。